ロック界の帝王・矢沢永吉(75)の前妻すみ子さんについて、これまで明かされることのなかった真実が浮き彫りになってきました。1972年から1989年まで17年間連れ添った最初の妻との運命的な出会いから壮絶な離婚劇、そして現在に至るまでの知られざる物語をお伝えします。
この記事でわかること
- 矢沢永吉とすみ子さんの運命的な出会いと結婚
- 17年間の結婚生活と離婚に至った真の理由
- 巨額詐欺事件がもたらした夫婦関係への影響
- すみ子さんの死去説の真相と現在の状況
横浜ディスコでの運命的出会い
1972年、当時23歳だった矢沢永吉と20歳のすみ子さんが出会ったのは、横浜にあったディスコ「グルッペ」でした。矢沢さんがバンド「ヤマト」で演奏していた時のことで、一目惚れだったと語られています。
矢沢さんはすみ子さんに出会ったその日に、交際と結婚を心に決めたという伝説的なエピソードが残されています。
当時すみ子さんは銀行員として働いていましたが、結婚を機に仕事を辞めて専業主婦の道を選択。矢沢さんの音楽活動を支える内助の功として、長年にわたって夫を支え続けました。
17年間の結婚生活と3人の子供
すみ子さんとの間に生まれた3人の子供
- 長男:栄一郎さん(現在は矢沢さんのライブ映像制作に関わる仕事に従事)
- 次男:寛十郎さん
- 長女:綾子さん(歯科医になったとの情報もある)
1972年から1989年まで続いた17年間の結婚生活は、矢沢さんのキャリア形成期と重なります。キャロル時代からソロ転向、そして日本を代表するロックスターへと駆け上がる激動の時代を、すみ子さんは家庭を守りながら支え続けました。
離婚に至った衝撃的な理由
なぜ17年間も連れ添った夫婦が突然離婚することになったのか?
1989年の離婚について、矢沢さんは「愛が無くなったから」と率直に語っています。しかし、この背景には複数の深刻な要因が重なっていました。
35億円詐欺事件の衝撃
離婚の大きな要因の一つが、35億円という巨額の詐欺被害でした。この事件により矢沢さんは莫大な借金を背負うことになり、家族関係にも深刻な影響を与えました。
経済的な困窮は夫婦関係に大きなストレスをもたらし、それまで築いてきた信頼関係にも亀裂が生じる結果となりました。
マリアさんとの不倫関係
1977年頃に知り合ったアメリカ人モデルのマリアさんとの不倫関係も、離婚の決定的な要因となりました。1985年にはマリアさんとの間に娘が生まれており、すみ子さんにとっては耐え難い状況だったと推測されます。
「矢沢永吉の離婚は、単純な不倫だけでなく、経済的な問題も大きく関わっていた複雑な状況だった」
引用:芸能関係者の証言
慰謝料については「ポルシェ3台分」と表現され、約6,000万円に達したとされています。この金額からも、離婚がいかに深刻な状況で行われたかが伺えます。
すみ子さんの死去説の真相
ネット上で囁かれる「すみ子さん死去説」は本当なのか?
近年、インターネット上ですみ子さんの死去説が流れています。一部の情報では2008年から2009年頃に亡くなったとされており、事実であれば60歳になる手前で人生を終えたことになります。
離婚後のすみ子さんは長年にわたって矢沢さんの会社の役員を務めていたとの情報もあり、完全に関係が断絶していたわけではないようです。しかし、プライベートな情報のため、現在の状況については確かな情報が得られていません。
矢沢永吉の現在と家族関係
1990年に現在の妻マリアさんと再婚した矢沢さんは、アメリカ・カリフォルニア州のサンタバーバラで新たな人生をスタートさせました。マリアさんとの間にも3人の子供がおり、現在は6人の子供の父親として知られています。
特に注目されているのが、マリアさんとの長女である矢沢洋子さん(1985年11月12日生まれ)で、歌手として活動しており、父親の音楽的才能を受け継いでいます。
「永吉さんは過去の経験を糧に、現在の家族との時間を大切にしている。すみ子さんとの子供たちとの関係も良好だと聞いている」
引用:音楽業界関係者
すみ子さんとの長男・栄一郎さんは現在も矢沢さんのライブ映像制作に関わる仕事をしており、父親との関係は良好に保たれているようです。これは、離婚後も子供たちとの絆を大切にしてきた矢沢さんの人柄を物語っています。
矢沢永吉の人生は、音楽だけでなく複雑な家族関係においても多くのドラマを含んでおり、それが彼の楽曲にも深みを与えていると評価されています。
75歳を迎えた現在も精力的に音楽活動を続ける矢沢永吉。過去の苦い経験も含めて受け入れながら、ロック界の帝王として君臨し続ける姿は、多くのファンに感動を与え続けています。すみ子さんとの17年間も、間違いなく彼の人生と音楽に大きな影響を与えた重要な時期だったのです。