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結婚前の交際期間と事実婚の背景
吉川晃司さんと奥様の交際は2007年後半から2008年初頭に始まり、2011年6月1日に正式に結婚しました。
2009年には二人の間にお子様が誕生しましたが、この時点では入籍はしていませんでした。
奥様は地元の富山県でお子様を出産し、育児に専念。
吉川晃司さんは十分な経済的支援を行い、多忙な中でも時間を作って妻子に会いに通っていました。
結婚に慎重だった理由について、吉川晃司さんは以前のインタビューでこう語っています。
「何かの枠には、絶対にはまりたくない。家庭を持ったりすると、自分の中のナイフが錆びちゃう気がして」。
アーティストとしての創作活動への影響を懸念していたようです。
さらに「生活感ありありの曲を書いてしまう」という不安も抱えていました。
理想の家庭の形として「ハナレを作って、そこにカミさんと子供を住まわせて、こっちからははいっていけるけど、向こうからは来られない」という考えも持っていました。
結婚時には「自分はどこか弱かった」と振り返った吉川晃司さん。
奥様はそんな彼の気持ちを理解し、アーティストとしての活動を支え続けていました。
吉川晃司が結婚を決意した理由
東日本大震災での経験が、吉川晃司さんの結婚観を大きく変えるきっかけとなりました。
2011年3月11日の震災後、被災地でガレキの撤去などのボランティア活動に参加した経験から、人との絆や家族の大切さを痛感したといいます。
吉川晃司さんは当時をこう振り返っています。
「東日本大震災以降、僕の中ではいろんなものが変わって、それまで使っていた物差しはもう使えないなぁと、腹を据えていこうと思った」。
この経験から、夫婦・親子が別々に暮らすべきではないという考えに至りました。
結婚発表の際には「世帯を持ちます。小さな子どもがひとりおります。知らせるのが遅れて申し訳ない。順序が逆になったことについて、言い訳はしません。自分はどこか弱かったと思います。ただ、筋は通させてください。本当の話はこれから歌で通します」とコメントしています。
約2年間の事実婚を経て、震災をきっかけに人生の価値観を見直した吉川晃司さん。
多くの「震災婚」のケースと同様に、パートナーとの絆を再確認し、正式な結婚へと踏み切ることを決意しました。
吉川晃司の結婚生活
自宅菜園と夫婦の生活スタイル
吉川晃司さんは家庭菜園を趣味とし、自宅のベランダで様々な果物や野菜を育てています。
2019年10月7日放送の「徹子の部屋」では、その充実した家庭生活の様子を語りました。
ベランダには多くの鉢植えが並び、グミやシークワーサー、アケビ、ヒメリンゴなどを栽培。
特にグリーンカーテンとして育てるパッションフルーツは「栽培しやすくておすすめ」と熱心に語っていました。
家庭菜園の肥料は、乗馬に行く際に山から調達するという工夫も。
スーパーで見かける一般的な野菜も一通り栽培経験があり、忙しい撮影期間中は奥様も栽培を手伝うなど、夫婦で協力して楽しんでいます。
さらに吉川晃司さんは料理も得意で、自宅のキッチンで和食や洋食など様々な料理を家族のために作るそうです。
収穫したシークワーサーを料理に使うなど、家庭菜園と料理を上手く組み合わせた生活を送っています。
将来は畑仕事に専念したい?
吉川晃司さんは2022年10月18日のドラマ「下町ロケット」出演時のインタビューで、将来の夢として「畑仕事」を挙げました。
現在のベランダ菜園から本格的な畑での栽培に移行し、土いじりに打ち込みたいという願望を持っています。
自身の食べるものは自分で作りたいという思いが強く、「己でいただくものを己で作る、この生産性においてこれ以上のものはない」と熱い想いを語っています。
最近の栽培チャレンジとして、ゴーヤのグリーンカーテン作りに成功。
一方で、新たに挑戦したキノコ栽培については、近所の方から中止を要請されるというエピソードもありました。
ペットのメダカや金魚への愛情
吉川晃司さんは約30年もの間、メダカと金魚を大切に飼育しています。
2024年3月1日放送の「徹子の部屋」では、都会での生活に合わせて選んだ特別な家族として、これらの生き物たちを紹介しました。
メダカと金魚への愛情は並々ならぬもので、会社の社長室にも水槽を3つ設置。
特にランチュウという種類の金魚を飼育しており、あらゆる金魚の名前や特徴を詳しく把握しているほどの金魚通です。
飼育を始めたきっかけは、スタジオ籠もりの時期に「生き物に触れたい」という強い衝動を感じたことでした。
金魚との出会いは、形が悪いという理由で処分されそうになっていた金魚たちを救ったことから始まりました。
救出した金魚たちの子孫は、現在も吉川晃司さんの自宅で元気に泳いでいます。
奥様と共に、これらの小さな生き物たちに愛情を注ぎながら、30年近くの時を共に過ごしています。